ボクシング.フリークかも?しれない
- リング誌
言わずと知れた世界で最も権威のあるボクシング専門誌。
私がボクシングに興味を持ったのは中学の確か二年の時(1962年)だったと思う。
ブームの絶頂で、毎日、ボクシングの実況中継がテレビに流れていた。
野球ではなくボクシング観戦にハマったのは、このスポーツがグローバルに見えたからだ。
本場の米国との交流を閉ざし国内のみでドングリの背比べをしている日本のプロ野球には興味を持てなかった。
そこにフェードインしてきたのがボクシングだったというわけだ。
当然、世界の情勢は知りたい。しかし、海外の情報は実質的には皆無と言って良かった。
テレビやラジオのメディアにはまず載らない。新聞雑誌でもたまにしかお目にかかれない。
ベースボールマガジン社発行のプロレス.アンド.ボクシングにWBAランキングと、海外事情のダイジェストが1、2ページ載っているくらいだった。
当時、日本で刊行されていた専門誌はボクシング.ガゼットとザ.ボクシングの二誌。
どちらも50ページほどの小冊子だった。
ボクシング.ガゼットはガゼット通信が発行していた雑誌だが、中学二年から高校二年までの4年間、殆ど毎号購読していた。
この雑誌は後にプロレス.アンド.ボクシングに吸収されてしまった。
ザ.ボクシングの方は、世界戦などの大きなイベントやエポックがあったときにしか買わなかった。主筆の平沢雪村さんにはどうしても馴染めなかった。
二誌とも、海外の情報には僅かな誌面しか割いていなかった。
より詳しく知るにはリング誌の購読以外に術がない。
ところが貧乏人の子供が毎号を小遣いで買えるような値段ではなかった。
入手も厄介だった。近くの書店で取り寄せてもらうと気が遠くなるほどの時間が掛かったので、池袋の新栄堂や芳林堂、新宿の紀伊国屋まで買いに出向いたが、必ずあるとも限らなかった。
そこまでの無理をして何度か買いはしたが、結局、定期購読はしなかった。
価格も辛かったが、一番の理由は「何を書いてあるのか良く解らなかった」からだ。
私の世代の英語教育は中学からだった。習い始めて一年の英語力で歯が立つ筈がない。
しかし、粗方にせよ理解しなければ試し買いの意味もない。
辞書と首っ引きで長い時間掛けて読んでみると、
記念すべき?最初に買った号の内容は、、
まず、ナット.フライシャーが未だ健在で巻頭で息巻いていた。有名な Nat Flischer Speaks Out だ。
論旨は「タイトルの行方はリングの中での戦いによる勝者に一義的に帰すべきである」ということらしい。
これは「チャンピオンに有利なマッチメーキングや疑惑の判定を厳しく批判しながら、それでもなおリング上の勝敗こそが最優先であるべきだとする」ナット.フライシャーの持論だ。
その他には、数ページ目に写真入りで載っていた新人ボクサーの紹介記事が印象に残っている。New Cuban Flash というキャプションが付されていた。
名前は忘れてしまった。記事を読んで二、三年は注意していたのだが、そのボクサーの消息は一度もメディアに上らなかった。大成しなかったのだろう。
- ボクシング.ガゼット
毎号、隅から隅まで読んだ。小冊子なので30分も掛からない。
巻末のガゼットレイティングは業界やファンに阿ることのない公平な規準で貫かれていた。
JBCのランキングより権威があったかもしれない。
このガゼット.レイティングは同誌廃刊後プロレス.アンド.ボクシングに引き継がれた。
主要な試合の経過と結果は、複数枚組の写真に短文付きの体裁で掲載されていた。十試合分内外で、二、三ページを占めていた。
勿論、タイトルマッチや世界ランカークラスの試合の扱いはもっと大きい。
私が、特に楽しみにしていたのは、ガゼット座談会だった。
司会は編集長でもある郡司信夫さんだったと記憶している。
出席者は林国治さん等のボクシング評論家。現役時代にノックアウトアーティストと呼ばれた中村金雄さん。松永喜久さん他、スポーツ関係の記者が若干名。リングサイドクラブの面々。だったと思う。毎回、多少の入れ替わりがあった。
中でも、元バンタム級日本チャンピオンの山口鉄也氏と後に結婚したボクシングファンの女性は活発に発言して目立っていた。ただ、お名前は失礼ながら忘れてしまった。
たまにレフェリーの遠山甲さんや帝拳の長野ハルさん、吉田幸夫コミッションドクターの名も出席者の中にあったような気がするが、確かではない。
技術論から有望新人の情報、業界の裏話など、コアな内容で、私にとってボクシングに関する貴重な情報源だった。
- 当時、活躍していたボクサー
軽量級は、ファイティング原田と海老原博之が全盛期。青木勝利がジョフレにKO負けしたのもこの頃。
(某サイトで、牛若丸原田が後のファイティング原田とされているが、これは誤り。牛若丸花田はファイティング原田の弟である。)
米倉健司や矢尾板貞夫は引退していたが、斎藤清作や野口恭、中村剛、等の試合は見たことがある。
高山一夫がキャリアの晩年。関光則は東洋チャンピオンだった。小坂照男の二度の世界挑戦は二、三年後。
河合哲朗、勝又行雄、菊池万蔵、益子勇治、筑波ゆうじ(漢字表記不詳)等の試合もよくテレビ中継に掛かった。
伝説の世界チャンピオン大場政夫、悲運の天才、田辺清や、フライ級きってのハードパンチャー高山勝義、
本格派ボクサータイプの滑川明石、ナチュラルタイミングの斎藤勝男、オリンピック金メダリスト桜井孝雄、
ボクシング教室出身の沼田義明、石山六郎、森洋、痩身のカミソリパンチャーで26連勝を記録した岡野耕司と、そのライバル窪倉和義、
「精密機械を狂わす三つのゴミ作戦」で沼田義明を倒した小林弘、
また、柴田国明を初めとする米倉ジムの選手達が登場するのは、かなり後だ。
中重量級では、福地兄弟が既に引退していたが、海津文夫は未だ現役で、前溝隆男、金田森男、権藤正男、とタイトルを取ったり取られたりしていた。
神経に直に注射を打つという荒療治を重ねて復帰した辰巳八郎も現役だったが試合を見た記憶がない。
川上林成と高橋美徳は好敵手と言われながら一度も対戦しなかった。渡辺亮は「肉を切らせて骨を断つ」ブルファイターだった。
アマチュアで連勝を重ねていた白鳥金丸が注目されたが、プロにはならなかった。
二、三年後には、逸材と期待されながら世界には届かなかった溝口宗男、その溝口の持つ日本ジュニアミドル級王座に挑戦してKO負けを喫したベンケイ藤倉、連続KO記録のムサシ中野が、
そして、藤猛が台頭する。さらに下って、カシアス内藤、輪島功一と続く。
海外では、軽量級はエデル.ジョフレ、ホセ.メデル。デビー.ムーアにシュガー.ラモス、ヴィセンテ.サルディバル。少し遅れてエフレン(アラクラン)とモイのトーレス兄弟にドワイト.ホーキンス。
また、パウンド.フォー.パウンド最強の座をジョフレと争ったカルロス.オルティスも健在でエロルデの挑戦を連続して退けていた。
世界ランキングにイズマエル.ラグナの名が現れたのは少し後だ。
中重量級は、ウエルター級のエミール.グリフィスとルイス.ロドリゲスが死闘を繰り広げていた。
ミドル級チャンピオンのディック.タイガーは安定王者だった。後に、ライト.ヘビーに階級を上げて二階級王者にもなったが、二度目の防衛戦でボブ.フォスターにKOされ失冠している。
刑務所でボクシングを習得したルビン.ハリケーン.カーターや共産圏(ハンガリー)唯一のプロボクサー、ラズロ.パップも話題になった。
いかにもボクサーらしい理想的な体躯を誇ったクリーブランド.ウイリアムズは期待されながら、ついに世界チャンピオンにはなれなかったと記憶している。
ホワイトホープとして騒がれた選手も何人かいたが良く覚えていない。ランキング上位に登る前に負けが混んでメディアに取り上げられなかったからだろうと思う。
カシアス.クレイはプロにデビューしたばかり。フロイド.パターソンが未だ現役だった。ヘビー級チャンピオンはソニー.リストンだった。
なお、当時、一流選手のリング禍が海外から連続して報じられた。
上述のエミール.グリフィス(米領バージン諸島)との世界戦でKOされたベニー.キッド.パレット(キューバ)が二週間後に亡くなった。
これも、共に上述のデビー.ムーア(米、後の世界スーパーウエルター級王者デビームーアとは別人)がシュガー.ラモス(キューバ、後、メキシコに帰化)にKOされ、そのダメージが元で二日後に亡くなった。
アーチ.ムーア(米)とカシアス.クレイ(米)に二戦連続でKOされたアレハンドロ.ラボランテ(アルゼンチン)が長い闘病生活の末に死亡した。
リング禍については別に項を設けて書く。
- インサイド.クロス.カウンター
最も強力なパンチはクロスカウンターだそうだ。
矢吹丈が力石徹だったかに当てたパンチがクロスカウンターだったそうな。
少年マガジンは毎週買っていたが、「あしたのジョー」はページを開くことすら殆どなかった。インチキくさくて読む気がしなかったのだ。テレビアニメに至っては一度も見たことがない。
しかし、漫画の中の矢吹丈がクロスカウンターを相手に当てているシーンは、何かで見たことがある。
さて、本題だが、、あのパンチはアウトサイド.クロス.カウンターだ。自分の腕が相手の腕の外側を巻いている。
インサイド.クロス.カウンターというアートがある。自分の腕を相手の腕の内側から伸ばす打ち方だ。
インサイド.クロス.カウンターはアウトサイドより遙かに威力があるが、相手のパンチを外側にやり過ごし、内側からタイミング良く急所を打ち抜くという極めて難しい技術だ。
このインサイド.クロス.カウンターこそが、最高のオフェンス.アートだ。
- パンチ力は骨格で決まる
殆どの人がパンチの強さは瞬発力で決まると思っているのではないだろうか。
私も、そう思っていた。
しかし、ボクシングを観戦するようになってから二、三ヶ月目に、「それだけではなさそうだ」と気が付いた。
というのは、骨皮筋右衛門で筋肉などろくについておらずガリガリの細身なのにKOの山を築いているボクサーが何人か居たからだ。
*注
もっともボディービルダーのような筋骨隆々たる体は、アスリートとしての資質の証しにはならない。
排気量が大きすぎて回転の上がらないエンジンのようなものだ。
殆どのスポーツに大きなウエイトを占める能力はスプリントだ。スポーツに大切なのは概ね「タイミングとスピード」だからだ。
トレーニングでも、この強化に多くを費やす。競技者としての成否は、大きく、ここに係っている。
ちなみに、オリンピックなどで重量挙げ競技を見る度に、いつも思う。「これもタイミングとスピード」だと。
問われるのは、単なる筋力ではなく、「瞬発力=加速度」だ。同じ筋骨隆々でも、ボディービルダーとは違う。
断っておくが、ボディービルを揶揄する気は毛頭ない。ボディービルと一般のスポーツでは目指すところが違う。いくら私でも、それ位は分かる。
しかし、他の条件が同じなら「ガリガリ」より「逞しい」方が良いに決まっている。
ボクシング評論家の林国治さんが腕の細いボクサーが出てくると必ず言っていた。「このボクサーは腕が細いからパンチは弱い」
*注−終わり
以降、パンチの強さを支配する要素は何か?を意識して試合を見るようになった。
すると、「パンチの出し方(正確には出方)」に密接な関係があり、その「出し方(出方)」は骨格に依存すると確信するに至った。
これを解り易く説明するのは難しい。
「パンチの力の方向=ベクトル」が上下左右にばらけることがなく、殆どが無駄なく合成ベクトルの一方向に向く、つまり鋭い指向性を持つパンチが自然に打てる骨格。
これくらいで勘弁して欲しい。
理想的な骨格を持ったボクサーのベストワンは私の知る限り青木勝利だ。
パンチが当たったときの衝撃は、そのパンチの速度の二乗に比例する。だからこそスプリントが大きな要素とされるわけだ。
ところが青木のパンチにはスピードがない。
速度の二乗だけでパンチ力が決まるのなら、高いKO率が説明できない。
遅いパンチの、もう一つのデメリットは、よけられてしまうことだ。
しかし、青木は確かにスピードこそないものの、パンチを当てる優れたセンスを持っていて、相当な実力者を相手にしても、一試合の内に、かなりの数の有効打を決めることが出来た。
青木のその緩慢なパンチが、しかし、殆ど「まぐれ」としか思えない程の鮮やかさで決まると、相手は八割がた倒れるのだ。これは何度見ても腑に落ちない不思議な光景だった。
スピード不足を補う要素があるとしたら、前述の鋭い指向性だろう。指向性は骨格に依存する。
「青木のパンチのスピード」と「青木のパンチがもたらす結果」との、このギャップを埋め得るリーズナブルな要素は他に見当たらない。
- 実況中継
1953年、私が五歳の秋、我が家に出入りしていた電気屋の金子さんがテレビを持ってきた。
*この2、3年前から数年後まで、当家の家電は殆ど金子さんから買っていた。
屋根にアンテナを取り付け、昇圧用のトランスを介してACを繋ぎ、4チャンネルに合わせてスイッチを入れると、数十秒後にテストパターンが現れた。
鏡を使って画面を確認しながらセット背面のつまみ類を回して、同期や水平と垂直の出力レベル、コントラスト、輝度を調整した後、
金子さんがチャンネルを「1」に切り替えると、ロープに囲まれた四角いキャンバスの上でグラブを着けたトランクス姿の男が二人で動き回っている様子が映った。
*当時はNHKと日本テレビの二局だけ。
それが、私の目にした初めてのテレビ番組であった。
後に、それが、日本最初のテレビによるボクシング実況中継であったことを知った。
当時、世界チャンピオンだった白井義男とエスビノザのノンタイトル戦だった。白井敗戦のUpsetだった。
- ナチュラル.タイミング
白井義男を見い出し世界チャンピョンにまで育てたあげたカーン博士が、白井の何処に才能を認めたかと言えば。それは「ナチュラル.タイミング」だ。
小林弘はカウンターの名手と呼ばれた。しかし、彼のカウンターは、相手の腕の動き出しを見て自らもパンチを始動するという、言わば「後出し」だ。
ところが、白井は違った。相手がパンチを始動したときには、自分もカウンターを当てる位置に向けて当てるタイミングでパンチを始動している。
つまり、相手のパンチの出し始めより更に前の動きを感知して反応しているということだ。
もちろん、これは一見それらしい「山勘カウンター」とは違う。
正真の反応の元に放たれたパンチが効果のピークのタイミングでヒットする。これこそが「ナチュラル.タイミング」だ。
これは天分であって練習で身に付くものではない。
私は一度だけボクシング中継の解説を務めていた白井自身が「ナチュラル.タイミング」を口にしたのを聞いている。
それは、後に白井が指導することになった斎藤勝男の試合で彼を評した時だった。
これはボクシングではないが、上記に通じる映像を見たことがある。
16才6ヶ月の史上最年少で女子テニスのランキングNo1になったマルチナ.ヒンギスの14才当時の試合の模様だ。
特別素早いわけでもなく、相手が甘い返球をしているわけでもないのに、殆ど抜かれないのだ。
相手が打つ前から動き始めて、スルスルスルといった感じで何となく追いついてしまう。
相手の体全体の動きの流れを見極め素早く正確に分析し対処する。それが無意識にできる。これもナチュラル.タイミングだと思った。
- ノスタルジー
今から十数年前、高速ピッチングマシンの打席に青田昇氏を立たせ、伝説的名投手、沢村栄治の往時の投球と比べさせるというテレビ番組の企画があった。
160キロ近いストレートを見送った後で、青田氏は「もうちょっと早かったな。それにもっと伸びがあった」とコメントした。
そもそも、沢村と青田は活躍した時期がずれていて対戦したはずがないのだ。沢村の投球を間近で見た経験はあるかもしれないが、仮にそうだとしても、数十年も隔てられた記憶の彼方の球速と目の前を今し方通り過ぎたボールのスピードを比べることなど出来ようか。
もし、「やらせ」ではないとするならば、これは、つまり、日々進歩する最先端の野球に継続して関わってきた青田氏の記憶の中で沢村栄治のイメージもまた進化してきた、ということではないだろうか。
世の中がおしなべて裕福になり、スポーツに興じる余裕が生じて、競技人口が増える。栄養状態も良くなってフィジカルも向上する。
練習方法や鍛錬法が進歩する。心技両面のノウハウの蓄積が進む。それらを共有することによって、より高い水準での切磋琢磨が生まれ、全体を押し上げる。
「昔の誰それの方が今の誰それより強い」あらゆるスポーツの分野でよく聞かれる、この常套句は「年寄りのノスタルジー」若しくは「ただの勘違い」にすぎない。
私の意見では説得力に欠けると仰る方には、マルティナ.ナブラチローワの言葉をどうぞ。
「今のグラフと全盛期の私のどちらが強いかと言えばグラフだろう。しかし、その比較はフェアじゃない。テニスのレベルは世代を追って向上するものだからだ。」
- ノスタルジー2
1998年のサッカー.ワールドカップ、フランス大会、岡田監督は直前のスイス合宿には25名を招集し、そこから本戦登録メンバーの22名を選出するという方法を採った。
故障による離脱者が出ることなどへの考慮が、この方法を採った理由だとされたが、それは言い訳だと私は思っている。
登録メンバーから外れたのは、北沢、市川、三浦、の三名だった。
北沢、市川はともかく、三浦の落選はメディアやファンの間で大変な物議を醸した。
しかし、すでにヨーロッパにいた代表への影響は少なかったのではないだろうか。
日本国内にいる段階で三浦を落としたら、もっと大きな騒ぎになって収拾が付かなかったに違いない。
これは岡田監督の当初からの計算だったと思う。
「私の構想では三浦を使うポジションが見出せない」岡田監督の、これが三浦を外した理由だ。
フォワードには中山と城が、ボランチには名波と山口が、司令塔役には中田がいて、確かに三浦の居場所はなかった。
フォワードは他にロペスが選ばれている。三浦よりマシだと評価されたわけだ。
これは、単に選手個々の能力だけの問題ではない。技量の高い選手をピッチに並べてもチームとして機能しなければ試合には勝てない。
本大会前の国際試合で三浦は「FKは中田秀が蹴る」という事前の約束事を破った。
キングと呼ばれる男だから不問にふされた横紙破りだ。それでも以前のように力が抜きん出ていれば些事として黙認されたかもしれない。
しかし、もはや力量に於いて後輩に追いつかれてしまった「かつての名選手」にまで、これを許していては、ワールドカップ本大会を戦い抜く集団にはなれない。
いや、かつての名選手だからこそ、許してはならない。
一目置かれる存在が勝手に決め事を破れば、これがチームにもたらすマイナスは並の代表選手の比ではない。
結局、功より罪が勝った。だから岡田監督は選ばなかった。それだけのことだ。
ところで、当時の三浦は31才。衰える年ではない。
そうなのだ、衰えたのではなく、周りの能力が向上して並ばれてしまっただけなのだ。
Jリーグ発足の二、三年前から日本のサッカー界はあらゆる面で急速に進歩し続けた。
ドーハの悲劇の主人公達が未だ現役バリバリの内に、20才になるかならぬかの新人達が瞬く間に追い抜いていった。
伝説が生まれるには時代の隔たりが必要なのに、ライブで追い抜かれたひには話にならない。
ノスタルジーもへったくれもない(失礼)。
- マニー.パッキャオ
マニー.パックマン.パッキャオはフライ級からスーパーウエルター級まで六階級を制したフィリピンの英雄だ。
彼についての私見を並べてみたい。
- やたらとパンチを打つ
とにかく、いやというほどパンチを出す。しかも矢継ぎ早である。
昔、フラッシュ.カブリエル.エロルデが日本のボクサーを評して「初めから終わりまで打ちっ放しだ。スタミナが持つはずがない」と言った。
そっくり、同国人のパッキャオに転送したいところだが、パッキャオはスタミナ切れなど起こす気配はない。
この圧倒的な手数は最大の防御にもなっている。
- 恐ろしいほどのスタミナ
手数を支えるのが驚異的なスタミナだ。
- パンチ力はモノスゴイと形容できるほどではない。
しかし、あれだけ手数を出せば中には良い角度とタイミングで当たるパンチもある。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというが、下手じゃないのだから、相手にとっては始末が悪い。
- ストレートが多い
パッキャオの腕はそれほど長くないが、肩幅が広い。
この肩幅をリーチとして活かすには半身の構えから腰と肩を回してストレートに打つしかない。
近年は重いクラスの選手との対戦が増えたので、体格差を補うため左のパンチはストレートが多い。
デ.ラ.ホーヤを諦めさせたのもストレートだった。
- ガードが甘い
ガードはあまり堅くない。
反射神経と動きの早さで補ってはいるが、いいパンチをまともに食らうこともある。
マルケスとの四度目の対戦ではジャストミートのカウンターでKOされてしまった。
- 強い精神力
非常に攻撃的なスタイルだが、劣勢でもめげない忍耐力もある。
- パッキャオ敗戦
負けちゃった。3−0の完敗だったらしい。
ヴィデオは未だ見ていないが、メイウエザーが勝ったのなら見る気はしない。
メイウエザーは確かに強いけど、試合が面白くないよね。
時々、酷い取りこぼしもするけど「攻めに攻めて勝ちに行く」パッキャオのボクシングが私は好きだな。
- プロ.スポーツはエンターテインメント
プロスポーツの本来はエンターテインメントだと思う。
昔の日本のプロ野球は試合時間が長かった。
投球間隔も攻守交代も、のんびりしていた。
一番腹が立ったのは、それほど微妙な判定でもないのに、コーチや監督がダックアウトから抗議に出てきて長時間試合を止めてしまうことだ。
また、それをリリーフ投手のウオーミングアップ時間稼ぎに利用するなどという罰当たり(ばちあたり)が当たり前のように行われた。
あまつさえ、テレビやラジオの解説が「うまい駆け引きですね」などと、肯定する始末だ。
ここには、球場まで足を運び高いチケットを買ってくれる観客やテレビ観戦で間接的にプロ球界に糧を与えてくれるファンへの気遣いは微塵もない。
この意識の低さが日本のプロ野球の体質だった。今でも基本的には変わっていないと思う。
(だから、この45年間、日本のプロ野球は殆ど見ていない。)
例えば、野茂がドジャースに入団して一年目。「投球間隔が長い」とアメリカのファンやメディアに叩かれた。
日本の専門家達は「野手のリズムを乱す」からだと見当外れを解説して涼しい顔をしていた。
違うんですよ
お客さんが「イライラ」するからだ。
お客さんを不快にさせる選択肢はあり得ないのだ。
こう言うと、必ず声が聞こえてくる「エンターテインメントを勝敗に優先させるのか」。
違うんですよ
「ファンを喜ばす」という絶対の縛りの下(もと)でプロの勝負は争われるべきなのだ。
メジャーではバントが殆ど使われない。お客さんにとって、つまらないからだ。つまらないことの優先度が極めて低いからだ。
プロスポーツとは、そういうものだと思う。
書いておきたいことが、もう一つある。
プロ野球界はファンへの本当の意味でのサービス精神に欠けるが、角界はそうではない。
相撲取りは下っ端でもファンが如何に大切かを良く解っている。ファンに報いるためには何をすべきか、また、何をすべきでないかを心得ている。
念のために書いておくが、すべき何かとは、ファン感謝祭やインタビューで、お愛想を並べることではない。「インタビュアーを困らせるほどの話し下手」が力士の代名詞だったくらいだ。
この違いが何に由来するのか深く考えたことはないが、恐らく見せ物としての歴史の差なのだろう。
剣道などの他の武道とは違って、相撲は古くから見料を取る興業だった。
- プロレスは見ない
私は、プロレスを見ない。
家でも(家族もプロレスは見ないが、使用人が見ていた)外でも、テレビにプロレスがかかっていると、その場を離れるか、それが出来ない場合は無視する。
プロレスもボクシングと同じくエンターテインメントだが、ブックメーカーの賭の対象にはならない。
その理由が、私がプロレスを見ない理由と通ずる。
- 黄金のバンタム
今を去る40年ほど前、どこかのスポーツ記者だかスポーツ評論家だかが、「黄金のバンタム」を「タレント豊富なバンタム級」の意味だと吹聴して、それがいつの間にか「定説」になってしまった。
百田尚樹氏が「黄金のバンタムを破った男」を発表して、ようやく洗脳が解けつつある。
そうなのだ、「ガウロ.デ.バウロ」(これは英語読み)は、パウンド.フォー.パウンド最強を謳われた「エデル.ジョフレ」その人のことなのだ。
これは蛇足だがついでに書いておこう。百田さんには悪いが、原田は二度とも負けていたと私は思っている。
これも蛇足だが書いておく。百田さんには悪いが「黄金のバンタムを破った男」を私は読んでいない。
- ファイティング原田のパンチ
ついでのついでに書いておく。
「原田はパンチがない」とよく言われた。
しかし、それは、世界の頂点を争うようなレベルでの話だ。
ある日の笹崎ジム、スパーリング.パートナーの務まるような選手が、たまたま一人もいなくて、居合わせた練習生で一番の古株にお鉢が回ってきた。
もちろん、原田は手加減したに違いないが、それでも、、。
「原田さんのパンチ、お前、ものすごく、あるよーー!!! ないなんて、嘘っぱちだ!!!」
- 後楽園ホール
当家は1975年まで豊島区北大塚で営業していた。山手線大塚駅北口から徒歩2分の立地だった。
近くの荒川線の線路沿いには米倉ジムがあったが、移転してしまった。その数年後、駅前近くに角海老宝石ボクシングジムができた。
この角海老宝石ボクシングジムとは別に当家の真裏には以前から「角海老宝石の経営する店」があり、そこの責任者の方には良く当店を利用していただいていた。
あるとき、いきさつは忘れたが、ボクシングの話になった。
「うちの社長はボクシングコミッショナーをやっている」社長さんがボクシングコミッショナーであることは、以前から存じ上げていた。
「よかったら、後楽園ホールにいらっしゃい。ただし、表から入って来ちゃだめだよ、裏に回って、」このご厚意に甘えたことは一度もなかった。
後楽園ホールには、数十回、ボクシング観戦に行っている。
当家から後楽園ホールまでは、山手線と総武線を乗り継いでも、地下鉄を利用しても30分余り。便は悪くなかった。
リングサイドは高くて買えない。大抵、指定席B、ごく希に指定席Aも買った。
指定席Bは少しリングが遠いが、指定席Aが一番見やすく感じた。リングサイドは仰ぎ見る姿勢になって首が疲れた。
- 脳貧血
パンチを食うと⇒
首が折れ曲がる⇒頸動脈も折れ曲がる⇒血流が絶たれる⇒脳に血が行かない⇒脳貧血で⇒
⇒ぶったおれる
頭部への加撃によるダウンの仕組みである。直接の原因は脳震盪ではなく脳貧血なのだ。
お気付きだろう。首を折り曲げるのにはアッパーカットが一番効果的だ。
- ソーラ.プレクサス
アッパーカットのターゲットはチンやボディー(主にストマック)だが、一般に急所と呼ばれる部位で代表的なのは、
上から、テンプル、ジョー、チン、ハート、ストマック、レバーだ。
*急所に眉間を含めることもあるようだ。キドニーとラビット.パンチは反則。
ところが、七番目の急所があるらしい。その名は「ソーラ.プレクサス」。日本語では「太陽神経系」と訳されている。「みぞおち」の近くにある
神経の集散する要のようなところらしい。
一度だけ「ソーラ.プレクサス」を打たれて(と思われる)ダウンした選手を見たことがある。
関光則の東洋フェザー級タイトルに挑戦してKOされた韓国の選手だ。
顔面にパンチをもらったときのように、ストンと倒れたのを覚えている。そのままKOに至ったほどのダメージなのに全く苦しがらなかった。
関は、このKO勝ちに味を占めて、かなり練習したらしいが、「ソーラ.プレクサス」へのパンチでダウンを奪うことは二度となかった。
- 基本.1
足を肩幅に広げてまっすぐ立つ⇒両腕の肘をたたんで垂直に構える⇒脇を締め、顎を引く⇒
拳はテンプルの辺り、前腕でジョーとチンを、上腕と肘でボディーをカヴァーする⇒
左右、交互にストレートを打つ、拳は反さない⇒
そのとき打ち出した腕と逆側のガードはもちろん崩さない。
打ち出した腕の側の顎は打ち出した側の肩で守られる
これは初期に教わる基本の一つだ。
- 基本.2
同時期に教わるのがフットワークの初歩である。初めは前進と後退のみ。
前足はすり足。歩くのではなく体重移動で体を運ぶこと。
- シャドー.ボクシング
リングの横のフロアで練習生がシャドー.ボクシングをしている。
一段高い座敷に置かれたソファーに横になっていた会長さんが起きあがって。
「そうじゃない」、フロアに素足のまま降りてきて、、
「もし、もし、かめよ、かめさんよ、」童謡でリズムを取りながら見本を見せる、、
さらに「お前のは、こうなっている」、練習生の誤った動きを再現して見せる。
見学している初心者には違いが分からない。
- 基本.3
ダブル.ブロック
将棋の技術論で「攻防一如」という言葉が良く使われる。「攻めと守りは一体である」といった意味で用いられる。
ちなみに一如は仏教用語だそうだ。意味は、「一」は「不二」、また、「如」は「不異」。
これはボクシングにも当てはまる。
ボクシングは「攻め」を狙う「凌ぎ」の連続で試合が流れて行く。正に「攻防一如」と言える。
しかし、良いパンチを食って大きなダメージを受けたときに無闇に攻めるのは危険だ。
そのようなときのための防御が「攻防一如」とは対極の「ダブル.ブロック」だ。専守防衛に徹してチャンスを待つのだ。
効いた状態なのでガードを抜かれる恐れはあるが、ひたすら殻を閉ざしてダメージの回復を図るのだ。
ダブル.ブロックには三つの型がある。
- 型A
- 片腕は通常の構え。もう片腕は上腕を体側に沿わせ肘を90度に曲げて前腕でボディーをカヴァーする(L字ブロック)。
斎藤勝男がよく使った型だ。
- 型B
- 両腕を前面にかざしてX形に交差させる。フィリピンのボクサーが使う型だ。
- 型C
- 両腕を水平にして上下に並べ体の前方にかざす。アッパーカットを防ぐのに適している。
日本の選手は、このダブル.ブロックをあまり使わない。
一方、海外の試合を見ると、この古典的なディフェンスは未だに頻繁に使われている。
殆どがAの型で、しかも、その姿勢を取り続けるのではなく、動きの流れの中の節々に、この構えを挟むのだ。
Cの型も、かなり見る。多くはロープ際に押し込まれてアッパーの連打を喰っている状況で使われている。
- 基本.4
自らが中心になるように努める。
カシアス.マーセラス.クレイ(後のモハメド.アリ)は相手を中心に、はね回りながら戦ったが、ボクシングの教科書には「自分が中心になれ」と書いてある。
相手がかけずり回らなければならないのに対して、自分は向きを変えるだけで良いので、体力面で有利だというわけだ。
- 頭が死ねば体も死ぬ
上の項の「蝶のように舞い蜂のように刺す」作戦は有名だが、アリは他にもそれまでのボクシングの常識を覆すような戦い方を色々と編み出して?いる。
いくら注意しても、リードパンチを出さずに、いきなりライトハンドを打つので、ダンディーは右を打った後で必ず左を返すように指導した。
右をリードパンチとして使わせたのだ。
アリは、また、ボディーブローを打ちたがらなかった。ダンディーは古くからの格言を持ち出して説得した。「体が死ねば頭も死ぬ」
アリは次のように抗弁した。「頭が死ねば体も死ぬ」
- 基本.5
インサイド.ポジション
接近戦では、相手の両腕の内側に自らの両腕を置くように心がけよ。
HBOやShowTimeのボクシング中継が放送されると、ラウンド間のコーナーでセコンドが「Stay inside!」と指示している。
これも、教科書の初めの方に書いてある。
- 時間がありません
1976年頃、ボクシングのブームはとっくに去り、実況中継は全ての局を合わせても週に一度か二度だったと思う。
私の熱もすっかり冷めていて、世界戦でさえ見逃すくらいだった。
少なくともフジテレビの放送時間は世界戦を除いて深夜だった。
ある夜、遅くまでアマチュア無線で仲間と語らった後、TVのスイッチを入れると実況録画が映った。
4回戦の試合だったと思うが、アナウンサーの酷いこと!
後で知ったが、これはフジテレビに入社したての福井謙二さんだった。
なにしろ、ラウンド残り一分辺りから「時間がありません」と叫び始め、残り30秒を切ると、ほとんど「時間がありません」しか言わないんだから。
ラウンド前半は実況以外の話題を挟んで表現力の貧しさを埋めていたが、それも、2ラウンドまでで種切れ。3ラウンド以降は最初から「時間がありません」の連呼。
真夜中だったが大声で笑い転げてしまった。
家の者達が二階の私の部屋まで駆け上がってきて、「どうしたの?一体?」
- 知ってました?A
KOを宣告するやいなや、レフェリーが必ずKO負けしたボクサーのマウスピースを外す。
(併せて下顎挙上を施す場合もある)
あれ、何故だか知ってます?
答えは「放っておくと呑んでしまう」から。
- 知ってました?Aの補足
実はそれだけではなく、大きなダメージを受けた場合は舌を喉の奥に巻き込んで気道を塞いでいる恐れがあるからだ。
その舌を引きずり出すには、先ず、マウスピースを外さなければならない。
さらに重篤なケースでは、マウスピースを外そうにも、歯を食いしばっていて、人の手では開けられないことがある。
その時には、マイナスドライバーと金槌にペンチを使う。
マイナスドライバーを上下の前歯の間に差し込み、金槌でドライバーの柄尻を叩いてこじ開けるのだ。
しかる後に、マウスピースを取り出し、その奥に巻き込んだ舌をペンチで挟んで引きずり出す。
- 知ってました?B
昔は、脹ら脛まで覆われる編み上げのリングシューズを履くボクサーが多かった。
何故だか知ってます?
理由は主に二つあって。
一つは、こむら返りを避けるため。
もう一つは、ダウンを喰ったとき足首を骨折しないように。
大きなダメージを受けてのダウンでは、足裏がキャンバスに密着したまま上体が倒れるので、足首が折れてしまう。
半長靴はこれを防ぐスリーブの役目を果たす。
ちなみに、靴底は堅い方が良いそうだ。
すり足も足先を支点としたターンも柔らかい靴底ではやりづらい。
- 「重量級はスピードがない」は嘘
「重量級の選手は軽量級に比べてスピードない」と言われるが、あれは嘘である。
パンチのスピードも、防御の素早さも、軽量級と変わらない。
肩からナックルまでの長さが60Cmの選手と90Cmの選手を比べてみれば、腕を畳んだ状態から伸びきるまでの行程が2:3だ。
スピードが同じだとすると、90Cmの選手の方が時間が余計掛かるのでユックリに見える。
これが、表題の嘘を生む。
しかし、確かに小回りは利かない。大きな車と小さな車の回転半径の差だ。
確実に言えることは、、
小柄な選手が自分より大柄な選手と戦う場合、勝利への方法論として、単純にスピードで上回ろうとしても、うまくいかないことだ。
例えば、パンチを打つ。相手がスウエーバックで逃げる。そのスピードは自分と変わらない。
逆に相手のパンチをスウエーバックで避けようとしても、簡単ではない。相手のスピードは小柄な自分と変わらないからだ。
加えて具合の悪いことに、イナバウワーの様に究極までスウエーしても相手の拳は更に伸びてくる。
- 「結果論」は常に100%正しい
「強いから勝つんじゃないんだよ。勝った選手が強いんだよ。」
具志堅用高の言葉だ。
テレビのワイドショーで、コメンテーターの一人が、この具志堅の言葉を引いて、
「勝負には様々な要素が絡むので、実力に勝る者が勝つとは限らない。」という解釈を披歴していた。
具志堅の真意は「勝った者が強いという評価を受ける」つまり、「結果を以って、評価が下される」ということだろう。
こう書くと、「身も蓋もない」と詰る人が必ずいる。
「身」も「蓋」も関わりない。理屈は極めて単純なのだ。「結果の前に評価がある」これは時系列の破綻だ。
勝負に様々な要素が絡むのは確かだ。
勝者にもマイナスポイントがあるだろうし、敗者にプラスポイントがあるかもしれない。
それらを精査して、強化に資することも、予想に生かすことも、意味はある。しかし、それとこれとは別の話だ。
以下、次回更新時に加筆
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